■大植英次さんに聞く

大植英次後援会会報に掲載した大植さんへのインタビューを転載しました。
インタビュー時期 09年10月 09年6月 08年8月 08年2月

ものすごく喜ばれた 
  
名誉指揮者初の演奏会 楽団員も変わらぬ対応

 大植英次さんは昨年6月のハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー日本公演を最後に同フィル首席指揮者を退任、終身名誉指揮者に就任した。大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、バルセロナ交響楽団の常任指揮者との掛け持ちで、相変わらず忙しい日々が続く。昨年10月、大フィル定期公演で帰国した大植さんに、名誉指揮者就任後の活動や今後の取り組みなどについて聞いた。(10年2月16日発行の後援会報)

 ―名誉指揮者になられた昨年9月末から10月初めに、ドイツで再デビューのコンサートがありました。楽団員やお 客さまの反応はどうでしたか。

 スタートはニーダザクセン州(ハノファーが州都)の音楽の日にちなんだコンサートで、中学生を中心に80%が子 供でしたが、ものすごく喜ばれた。大人がするようなリズミカルな手拍子をしてくれたりしていました。

 ―楽団員はどうでした。

 これまでと全く変わらない対応でした。彼らとは以心伝心ですし、英次となら絶対間違いないコンサートができると分かっていますから。彼らは僕を信じてくれているし、僕も彼らの力を信じている。それはこの11年間の信頼関 係。楽団員みんなが僕と音楽を作りたいと思ってくれている。

 ―名誉指揮者になられても、お客も楽団員も聞いてくれる気持ちや一緒に演奏する気持はこれまでと変わらな いということですね。

 もちろんです。一生懸命やりますから。新しい指揮者なら少々ごまかしてもいいけれど、僕が来たら練習もピシャ ッと、時間をとってやる。エイジは自分たちの一番上のボスなのだから、と言ってね。音楽の日のコンサートにはN DR(北ドイツ放送協会=ハンブルク)の社長も来ていました。

 ―ハノーファーでは、今後どんな作曲家、どんな曲に取り組み、また掘り下げて行こうと思っておられますか。

 11年もやったので、ありとあらゆるものをやって来た。世界初演もやったし、シンフォニーもブラームスからベート ーベンまで全部やった。これからもっと時間を取ってそれらを深めて行くことは大切だけど、例えばこれから新しい現代ものを紹介するとか、そういう使命感というか義務感は持たない方がいいのではないかと思う。でも、曲を書きたいという作曲家がいて、それがこれからすごく期待される人だからということで書いてもらって演奏するということはあると思う。メジャーな「三大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)」のような作曲家はすべてやったけれど、そういう曲を取り上げる時は、楽団員から英次はもっと上を行ってほしい、もっと深くと言って来る。練習の時でも、早く終わろうとすると「まだ時間がありますよ」とね。普通、楽団員だって早く帰れればうれしいのに「もっとやりましょう」。しゃくし定規なドイツ人が普通なら練習時間を延ばすわけはないのに、ちゃんとした演奏をやりたいんですね。ハノーファーフィルのメンバーは11年前と今は大違いですね。もちろん楽団自体ものすごくうまくなっていることもあって、ドイツでの評価も違って来た。だから、最高レベルの演奏家、例えばめったにやってくれないヴァイオリンのギドン・クレマーなどが来てくれるようになった。功労勲章をいただいたニ―ダーザクセン州知事からも「英次は州の名誉大使。自分が交代することがあっても、あなたの位置は生涯変わらない」と言ってもらった。大変光栄に思っています。州やハノーファー市にとっては「わが英次」になっているので、音楽会もちゃんとしなければならないし、私生活も見本になるようにしなければいけない。僕は11年間、そういうことを心がけてやって来たつもり。英次なら絶対間違いないと贈ってくれた勲章なので、これからは人間的に成長していろんな人から認められるというか、お手本になるようにしたい。僕はどんな曲でも新しい目で見ているつもりだけれど、英次にはこれ以上はないなと思われたら名誉指揮者にはなれなかっただろう。11年もやっているとベートーベンでもブラームスでも何回も同じ曲を演奏したが、次はその上を行くと、英次にはまだ向こうがある、まだまだ先があると楽団員全員が感じてくれて、それが、名誉指揮者につながったと思う。

 ―マーラーの交響曲第9番のスローテンポな演奏には、日本のファンの間で賛否両論出たようですね。

 そのようですね、僕は初め知らなかったのだけれど。この曲を発掘して十八番としていた恩師のバーンスタイン 先生と一緒に勉強して、この曲についてもいろいろな話も聞いて来た。今までは習慣的に楽譜に書いてもないのに遅くしたり早くしたりしていた。そこで原点に戻って書いてあることをちゃんとやれるようにしたいと思った。もちろん、マーラーに限らずベートーベンでもブラームスでもそうなのだけれど。例えば、ブラームスはハンブルク出身ですけど、ハンブルクの港町で大西洋が見えていて…というところに、何かがあるのではないか。作曲家だから夢を見ながら、ハンブルクの港の波止に立って沈みゆく夕陽を見ているような気持ちを―というように、ブラームスに例えて言いましたけど、楽譜に書いてあることをちゃんとやるというか、僕はこうじゃないかと思っていたことをやって、全部の音を聞こうとしたらああいうことになった。あのテンポが、すべてみんなが安心して落ち着いてうまく出来るということです。1音1音本当に良い音を出そうとすると、楽団員みんなの楽器が鳴ってくる。あれは別に僕の解釈がこうだから、ということでやったのではなくて、僕の見えている「間」というものに楽団員みんなが賛同してくれたということなのです。もちろん自分たちが最高の状態でやろうとして練習していたら最終的にあのテンポに落ち着いた。もちろん僕もある程度こうしたいからと、練習前に勉強していましたけどね。

 ―スローテンポは演奏家にも高い技術が求められると聞きますが。

 当然ですよ。ヴァイオリンでもグーッと静かに抑えなければならないし、疲れます。だから、この前の広島のマー ラーの時だってどこまで出来るか、彼らも未知との遭遇というか何かを期待をして演奏してくれました。 ハノーファーフィルはラジオ局のオケだから、ラジオのプログラムが多い。ラジオで実況を流す。今、北ドイツで一番良く聞かれているのが僕の演奏。ケルンなど他の放送局も買ってくれ、僕が指揮した演奏会のものが最も良く売れるそうです。

 ―今後、ハノーファー北ドイツフィル、大フィル、バルセロナ交響楽団などそれぞれに目指す方向があると思いますが、どんな特色を出して行こうと考えていますか。

 もちろんそれは考えています。名誉指揮者、音楽監督としてビジョンを持っていなければいけませんから。しかし、それはじっくりみんなで作っていかなければならない。僕がある方向性を示して行くと、楽団員からも「それは出来る。こうしよう」などという意見が出て、それがミックスされて出来上がってゆくのだと思う。指揮者によっては「ああしろ、こうしろ。早く、遅く」と指図しますが、僕は楽団員の意見を聞いてみんなで作ってゆくものだと思っていま
すし、そうしています。
 ―大阪で、ご自身のプロデュースで始められた「大阪クラシック」については。
 今年(昨年9月)が4年目でしたが、一カ所平均500人集まってくださったとして 100公演やりましたから5万 人を超えたことになります。会場を貸してくださる企業の理解も進んでいます。ただ、こうしたプロジェクトをやっても、すぐにクラシックファンが増えるものではない。このプロジェクトの目的は、夜のコンサート会場に来られない方と か、来にくい人たちに来ていただき、クラシックを楽しんでもらおうというものです。赤ちゃん連れなどは大歓迎です。種はまきました。この種が芽を出しどこまで伸びてゆくか。「ジャックと豆の木」の木のようにどんどん伸びてほしいし、僕もこの木と一緒に成長してゆきたいと思っています。種をまいたのは僕だけど、楽団員もお客さんもみんなが育ててくれて、大フィルが、大阪の自慢できるものになればいいと思っています。それが音楽家の使命だと思っています。

 ―このたび、今年で66回目を迎えた中国新聞社の「中国文化賞」を受賞されましたが、感想は。

 とてもうれしい。今回の受賞理由は、これまで30年間の実績を認めてもらったということだと思うが、生まれ故郷の賞をいただいたということには格別の思いがあります。それは励ましであって、これで終わりというのではなく、 これからもっと頑張れ、音楽家として、人間としての成長を期待しての賞だと思う。今、大植は日本では大阪にいますが、大阪なら大阪に腰を落ち着けてやろうと思って7年経ちました。大植を聞 くなら大阪に来てほしいと思っています。広島や東京のオケでやるのではなく、大阪でやっている大植を聞きに来てほしい。大フィルにとっても、大阪にとっても自慢になるようにやってゆきたい。富と名誉を求めたら駄目になります。求めないからみんなが一緒にやってくれると思っています。







 精進重ねお返しする 
  勲章はこの上ない名誉

 ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーを率いる大植英次さんは6月21日から28日まで、大阪、広島、名古屋、静岡、東京で計6回の演奏会を開いた。3年ぶりとなるがい旋公演では、首席指揮者としての11年間の熟成ぶりを余すところなく披露し、日本のクラシックファンを魅了した。大植さんは日本公演を最後に同フィル首席指揮者を退任、終身名誉指揮者に就任した。広島公演を終えた大植さんに、公演の感想や今後の音楽活動への抱負などを聞いた。(09年10月15日発行の後援会報)

 ―広島公演は大盛況でしたね。感想は。

 いろんな思いがあるけれど、まず一番はマーラーというドイツ系の作曲家の音楽を本物がわかる本場ドイツのオーケストラで演奏できたことだ。また、交響曲第9番を広島で演奏できたことが感慨深い。この曲は人生を表した悲劇あり、幸福もあり、憂うつなところ、ぼうばくとしたところもあり、最後は昇天してゆく。古里の広島にふさわしい曲なので絶対持ってきたかった。楽団員はみな、広島市とハノーファー市が姉妹都市縁組していることを知っているし、私の出身地だということもよくわかってくれている。ほとんどの団員が3月に亡くなった私の母と会っているし、今回も会いたがっていた。

 楽団員には、原爆の犠牲となった多くの市民、亡くなった母に捧げる気持ちを込めて演奏したいという強い思いがあった。感情的になりすぎても困ると思っていたが、いろんな思いを込めて力いっぱい演奏してもらった。

 ―6月に受章されたニーダーザクセン州功労勲章一等功労十字章は大変な章だそうですね。

 03年に就任したヴルフ同州首相が就任6年目で初めて出したと聞いた。ドイツでは第一級の勲章。翌日の地元紙の1面と社会面のトップで大きな写真入りで紹介され、勲章の重さに改めて驚いた。

 11年間こつこつやってきたことをみなさんに認めてもらった。お金で買えるものではないし、歴史に残る大変名誉なことだ。これからいっそう精進を重ね、一生かかってお返しをしてゆかねばと思っている。

 ―終身名誉指揮者としての新しいシーズンが始まりますが、抱負は。

 首席指揮者は期間契約だけれど、名誉指揮者は終身。私が死ぬまでこのオーケストラには私の名前がついてまわる。終わりではなく、新たな始まりと思って頑張る。

 ―ずいぶんおやせになりましたね。体調が悪いのではないかと心配しているファンもいます。

 1年くらい前、ある人に「ビールを3杯飲むところを、1杯にしなさい」と勧められた。飲み始めるとそうはいかないので、「じゃー、やめる」といって、ぽんとやめた。それと、米国のロバート・アトキンズ博士の書いた本に、炭水化物の摂取を控えると健康にいいと書いてあったので、ご飯やイモ類、パスタを食べるのをやめた。昨年12月には体重が10㌔減った。でも、体調はすごくいいのでご心配なく。







 やりたいこと自由に 
   名誉指揮者 勲章もらった感じ

 大植英次さんが09年8月からハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの名誉指揮者に就任する。外国人がドイツのオーケストラの名誉指揮者になるのは初めて。首席指揮者として11年、その人気、実力が高く評価された証しでもある。昨年8月末、後援会総会・囲む会出席のため帰郷した大植さんに、近況や今後の音楽活動への意気込みなどを聞いた。(09年2月6日発行の後援会報)


 09年8月のシーズンからハノーファー北ドイツ放送フィルの名誉指揮者に就任されますね。

 伝統を大事にするドイツのオーケストラで外国人が名誉指揮者になるのは初めてだ。僕が作った企画がまだたくさん残っているし、定期公演の会員になるのは5年待ちで、公演のチケットが取れなくて大変な状態。指揮者を代えたら裏切ることになる。エイジカラーが消えると、客が騒ぐのではと、心配したようだ。

 名誉指揮者というと、なにか終身的な感じがある。ドイツで名誉指揮者というと、北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)で首席指揮者から名誉指揮者に昇格したギュンター・ヴァント(1912―2002年)が有名。彼が名誉指揮者になって、(11年間で)3人が首席指揮者を務めたが、あのオケは「ギュンター・ヴァントのオケ」といわれていた。それで、「ハノーファーのオケはエイジのオケ」にしたいと、言ってもらった。名誉なことで勲章をいただいたような気がする。ハノーファーの皆さんのために、日本人として、また広島出身の音楽家として、恥をかかないよう頑張りたい。

 名誉指揮者になられると何が変わりますか。

 自分のやりたいことがもっともっと自由にできるようになる。ラジオ局のオケだから、聞く人のために曲の新旧のバラエティー、バランスも考えないといけない。ブラームス、ベートーヴェンばかりだと他の放送局と重なる。北ドイツ放送(NDR)のいろんな人の意向を聞いたり、相談もしないといけなかった。これからは僕がこれをやる、と言ったら、それで決まる。8月には新しい首席指揮者が来るから、定期公演の指揮はこれまでの月4回から1回に減らす。

 ハノファー北ドイツ放送フィルの首席指揮者になられて11年目ですね。振り返ってどうですか。

 いつのまにか11年たっていた。でも、これはものすごい記録。昔はあったようだけれど、最近は長くて6年くらい。 

 当初、僕の定期演奏会は木、金曜日に設定された月2回だった。定期会員でいっぱいなので、3年前にメーンの曲1曲だけをやる「クラシックエキストラ」を日曜日に設けた。それも定期になって月4回やるようになったが、それでもチケットがなくて困っている。

 ハノーファーでは「ムジークターク(音楽の日)」を設けた。2年に1回、多くの市民が楽しめるよう無料のミニコンサートを32カ所で催している。

 僕は広島出身なので5年前に「ピースコンサート」を始めた。ドイツの終戦記念日にあたる5月17日の前夜10時から12時まで教会でコンサートを開く。終わるとお祈り。ドイツ人の誇りを取り戻してくれた、と喜んでもらい、ニーダーザクセン州から外国人では初めてプレトリウス賞(3年に1回音楽家に授賞する)という賞もいただいた。賞金は楽器に困っている小さな音楽学校に寄付した。

 僕も50歳を超えたのでこれからは教育を使命にしたい。バーンスタイン先生も死ぬ直前に教育に携わりたいと言っておられた。若者に音楽を通じて夢を持たせたい。学校訪問はこれまでに100校以上やったが、これからも続けたい、と思っている。

 09年の日本でのコンサートは首席指揮者としては最後のコンサートになるのですか。

 そういうことになりますね。首席指揮者としては一応サヨナラ公演ですが、区切りをつけるための公演。それで、マーラーの交響曲第9番という80分の大曲を選んだ。マーラーの曲の中で有名中の有名と言うわけではないが、通の世界ではマーラーでこれ以上のものはないといわれている。最後はさよならと静かに終わる。マーラーが皆さんありがとう、という感じで、深い曲。本当に奥の深い曲というのはあまりない。

 マーラーは、若いころに子供3人を病気で亡くし、音楽の面でも苦悩を味わった。苦しい人生を送っての祈りの曲ですから、広島でやることにすごく意味がある。広島にぜひ持ってきたかった。

 マーラーの曲は弦楽器がたくさんいる。うちのオケはふだん、第一バイオリンは12人だけれど16人に増やすなど弦部を強化して、シカゴ響やベルリンフィルなどと同じ人数にする。フルートなども増やし、全部で20人近く力のある奏者を増やしての来日になる。すごい出費になるけれど、それで行ってくれといわれた。最高の形で持ってこられることになった。

 大きなオケが静かにやると草原を見るような、大きな海を眺めているような感じになる。最初は人間の生、その鼓動から始まる。第3楽章はものすごい闘いの楽章で、本当に激しい。ここまで乱暴にしていいのだろうかというぐらい激しい楽章。第4楽章は彼の人生を振り返って、それは神が与えた試練だった、神への畏敬と祈り、最後は楽器が減っていってビオラだけになって、静かに静かに、夢は枯野を駆け巡るような終わり方をする。最後は静かにお祈りしていただきたい。恐らくこれ以上広島にふさわしい曲はない。

 今、ハノーファーと大阪、バルセロナと、世界を忙しく駆け巡っておられるという感じですね。

 08年は1月から8月初めまでは毎週、音楽会があった。さすがにこれは初めての経験。一番最初にやったのはシェーンベルクの「グレの歌」といってクラシック史上一番大きな曲。演奏者が最低でも500人いる。マーラーの「千人の交響曲」(交響曲第八番)でも300―400人いればできるが、グレの歌は本当に500人いる。

 8月24日にはハンブルク近郊のノイミュンスターで、4000人を集めてシュレスヴィック・ホルシュタイン音楽祭をやった。バースタイン先生の生誕90年を祝ってのコンサートで、ラジオでフランス、イタリア、スペイン、イギリス、デンマーク、遠くはスウェーデンまでヨーロッパ中に中継放送された。何億という人が聞き、好評だったと聞いている。バーンスタインの長男も来て、喜んでくれた。

 いろんな国でコンサートをされて大植さん自身が学ぶことはありますか。

 たとえば、日本人がうまいのはマイナー(短調)で、歌がうまい。チャイコフスキーは日本人がうまい。ドイツ人は音の響かせ方が重厚で、ハーモニーがキュと詰まっている。「ドイツクラング(ドイツの響き)」という言葉があるが、怒とうのごとく音が出てくる。バルセロナはスペインでも、(北東部の)カタロニアなのでスペインとちょっと違う。リズム感がある。最初の練習ではグジャグジャでも、パッと何か言うとスーとまとまってくる。

 一度面白かったのは、「カタロニア」という曲をやったときのこと。曲を全然知らなかったのでマドリードのオケが演奏したレコードを事前に聴いて行った。リズム感があってフラメンコみたいな曲だった。練習したら楽団員がみんな「ちょっと違う」という顔をする。休憩のとき、楽団員が「エイジ、この曲の元を知ってる」と聞く。「カタロニアの歌」というと、「歌でも誰の歌か知ってる」。「そこまでは知らない」と答えると、「これは子供の歌」いう。騒ぎすぎる子供を母親がたしなめる歌なのだそうで、翌日の練習はテンポを落としてやったら、終わったとたん大拍手。「わかってくれた」という気持ちだったのだと思う。

 ドイツに10年余いて、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナーと本物が身についてきた。日本にいても、いろんな情報が十分に入っくる。でも現地にいると本物が底からわいてくる。

 僕は作曲家の代理人、作曲家は僕なんかより何千倍ものすばらしい才能を持った人たち。モーツァルトやベートーヴェンのような仕事は、僕がひっくり返ってもできない。そんな人は、今の世の中にはいない。自分の尊敬するすごい人と毎日、譜面を見ながら仕事をする、こんな商売はほかにない。作曲家に対する尊敬の念をいだきつつ、その作曲家の意図、メッセージを把握してオケにわかってもらい、オケを鳴らせて客に伝えてゆくのが指揮者の役目だ。

 6月の広島でのコンサートを楽しみにしています。

 マーラーの交響曲第9番は広島のために持ってくる曲だから、できたらお客さまは曲が終わってから5分くらい静かにお祈りしていただくと、うれしい。本当に静かに終わりますから。拍手がなくてもいいんです。アンコールでムードを壊すより、その方がいい。メロディーがちょっとずつゆっくりになっていって、最後はしーんとなって、いつ終わったかわからないような…。楽しみにしてください。







 一回り成長した姿 見せたい 
  
ハノーファー北ドイツフィル 09年には広島で公演予定

 大植英次さんがハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの首席指揮者に就任して10年目を迎えた。2003年4月からは大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、06年9月からは、スペインのバルセロナ交響楽団音楽監督も兼ねる。世界を股にかけて大活躍の大植さん。大フィル創立60周年記念の呉・岩国公演で帰郷した大植さんに最近の演奏活動や意気込みなどを聞いた。聞き手は牧野睦夫後援会事務局員。(08年6月27日発行の後援会報)
 

 ―昨年から今年にかけて大フィルの創立60周年で、全国各地で演奏会を開かれました。反響はいかがでしたか。

 どの会場も超満員で、演奏が始まると、ものすごく集中して聴いてくださっていると感じました。みんなに感動していただける音楽が作れたと喜んでいます。

 呉・岩国公演では小曽根真さんという、世界に誇る音楽家と共演しましたが、小曽根さんも、「1音目からこんなに温かい雰囲気で弾けたのは初めて」とおっしゃっていました。

 昨年60周年記念で、ベートーベンの(交響曲)全曲演奏をやり、日本では初めて第九をやったんですけど、あれを単独のシンフォニーで一夜プログラムに入れていたら解釈が違うものが出ていたと思うんです。それが一番から順番にやっていくと九番に届いたときに、特に九番は、新たな発見というか、見えてくるものがありました。第九は何百回も聴いたというお客さんも「びっくりした。こんなの初めて聴きました」とおっしゃってました。

 伝統のフェスティバルホールでの第九は2回とも満席で「こんな第九は初めてだ」という声が聞かれましたね。

 一番良かったのは歌の4人、ソロは全員ドイツ人だったんですけど、最初は日本のオケということで「マー、マー」でやっていたんですけど、合唱はワーっと来るし、オケはすごい音を出しているものだから、みんな「アレアレッ」って感じになっちゃってね。練習で「これはドイツの合唱隊よりドイツ語がいいじゃないか」って。本番ではその歌手も盛り上がっちゃって、オケも乗ってきて、そういうところをお客もわかってくれてね。「素晴らしいものが出来ている」という雰囲気が大事なんですよ。ですから、どこへ行っても満席、売り切れ、東京でも満席でした。

 今回は呉・岩国で、昨年は広島・福山でも、大フィルを率いて故郷での演奏会でしたが、地元というのは他と違うものがありますか?

 違いますね。地元では皆さんから「お帰りなさい、良く帰ったね」と言ってもらっているような気がするし、「よく頑張ったね」と言われている気もします。度々ではなく、地元には1、2年に1回、または3年に1回なので、僕の成長を楽しみに見てもらえるし、音楽的にも人間的にも一回り大きくなって帰って来なければいけない。皆さん楽しみにしてくださっているし、その喜びを分かち合えるこのような場所があって本当にうれしい気持ちです。お陰さまで今回も満員になって本当にうれしく思っています。

 ―98年にドイツに行かれて、もう10年ですね。

 今、記録なんですよ。ドイツのオーケストラで一番長い(外国人の)音楽監督で、この20年間くらいドイツにはそんな例はないんです。ドイツ人というのは割と早くハネムーンが終わって、2、3年、だいたい4、5年で終わるんですよ。
 特に、ラジオ局のオケは、客よりもラジオを聴く人のためにあるわけです。あまり同じ指揮者が同じことをやっていてはいけない、本来ならいろんなことをやらなければいけない。でも好いてくれていて、どんどん長くなってしまった。違うものを考えて持って来る人もいたんですが、オケが断るんですよ。普通4、5年で終わるところなのに。僕はもうオケと本当に仲間なのですよ。
 ドイツだけではなく、僕がバルセロナ(スペイン・バルセロナ交響楽団音楽監督)に行っても大変で、演奏会が終わって楽団員がどんどん来てみんな泣き始めたり。「私はこんな風に音楽をやっていたんですよ」って言いに来たり。スペイン人はものすごく感情を出すし、オケと仲が良いんで僕が行くと皆ワーッと大変なんです。

 ―来年、(ハノーファーフィルを率いて)広島に来てくださいますね。

 はい。広島は必ず、スケジュールに入ります。ベートーベンかマーラーですけど全曲いい曲で、ソロもいい人が来てくれますし。

 昨年は体調を崩されましたね。

 ええ、去年は無理をしたつもりはなかったんですけど、ちょっと首と腰をやられまして…。これは以前から持っていたものなんですが、心配をおかけしました。ちゃんと病院でゆっくり休んで安静にしていました。

 ―今回の演奏を聴かせてもらい、もう大丈夫という実感がありました。来年の広島公演を楽しみにしています。

 広島は故郷で、一番大事にしなければならないところですし、一番よいところを見てもらいたい。純粋な、繕ったり着飾ったのではなくて、本当に純粋にお陰さまでここまで来られたというところを聴いてもらいたいし、これが僕の使命だし、喜んでいただきたいと思っています



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